Swallowtail Butterfly の歌詞は
こちらで。
影響受けてそうなのは
こちらのエピソードかな、と。
読み返すと、勉強の意味も兼ねて敢えて難解にしてるんですが。
「ハベル」というのが出てくる辺り、ここの
テダはアゲハぽい感じです。
※それで、改めて読み返すと、ここでのテダは自殺しそこねた女の子なので。
今読むとちょっと重いですね。現状の全てがサンプルだとしても。
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コンセプトは、、、なんだろう。
たしか盲目のユタ
識名が彼女に名前を与えるという大筋のエピソードで。
識名を「識名」として描きたかったとか、そんなことを考えていたような・・・。
「名を与える」ことで、宙ぶらりんの、いわゆるケガレた状態が祓われるとか。
そういう民俗ぽい考証のほかに、「真の名」を重要視する
『ゲド戦記』的なニュアンスも入れていたと思います。
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それと、おそらく後付けかなと思うのですが
(スミマセン、自分でもよく覚えてなくて。)
ユタの語源が、朝鮮語のヌタ、すなわち「ことば」に由来するという説があり。
ここでのテダ、というか「テダコ」と地元民に称されている異邦人=まれびとの少女が、
「ことばをなくす」
すなわち、現在自分が所属している(あるいはせざるをえない)
「シャカイ」にリアクトする手段を自分から放棄してしまっている、
という所からスタートして。
※カンタンに言うと、カイシャ辞める前はぶちぶち愚痴を言うけど。
本当に「辞める」と決めたひとって、何も言わなくなるじゃないですか。
それですね。
いま、自分の
「セカイの全て」になってしまっている「島」から、
異界の象徴である「海」――
このへん、最近の「天保異聞~」見ていると、テーマ的には重なるんですが。
#あと、もし「死にたい」系の感情抱えている子がココに来てしまっていたらですね。
いま居る場所が「セカイの全て」では決してないので、舌出しながら巧妙に逃げるとよいです。
死んでしまうと、たぶん余り面白くないので。
――に身を投げてしまって。
それでも死ねなかったばかりか、
逆に自分が忌避していた存在に命を助けられる、という矛盾を抱え込んでしまい、
結果として、幾分か狂気を抱え込んでしまう。
そこに、「
葬儀」を担うユタ――
葬儀というのは、その実死んでしまった人のためではなくて、
いま生きている人たちのためのもの、シャカイの安定のために行われる儀式ですから、
ユタである識名はテダが否定したシャカイのために働いていることになります。
――が彼女の前に現れて。
その識名を見て、彼女は
「美しい」
と思う。
逃げようとしていたシャカイの中で、美しいと思えるもの。
自分の中で、肯定できるもの、ロールモデルに成り得るひとを見つけた、
というのが彼女を現実に繋ぎとめるためのささやかな「フック」になって、
その識名――シャカイの中の役割としてはユタ、すなわち「ことば」なのですが。
そのユタに、シャカイにリアクトする手段としての「ことば」の回復を促される。
それで、その回復は
「名前を与えられる」
すなわちシャカイの中での自分の役割を与えられる、
ということによって行われる、と。
長くなりましたが、理屈で書くと、きっとそんな感じだったと思います。
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ここで、ふと、「グスクの海」のサイトをデザインされたnejiさんのですね。
そのnejiという名前の由来を思い出しました。
たしか、絵本で、「立派なネジ」になろうと努力するネジの話だったかな。
端的には、シャカイに必要とされる「部品」になるべく努力する存在の話ですね。
意識したわけではないけれど、それをふと思い出しました。
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で、いま久々に
Swallowtail ButterflyのシングルCD流しておるのですが、やっぱ好いですね。
小声でお奨めです。